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三重工場の宮城県女川町復興応援活動②

2012 年 4 月 6 日
三重工場工場管理課係長

大見 勝春

[前回のあらすじ]

宮城県牡鹿群女川町の被災した旧庁舎や病院の片付けを行うために集まった三重工場有志11名(高綱 一正、榛葉 靖典、久保 幸久、菊川 正信、大淀 哲弘、浅沼 正典、畑 拓文、石崎 憲一、宮本 高弘、須川 智之、大見 勝春)は、3月の「東北デー」のワンコイン募金で集まった131,446円を資金とし3月16日に女川町役場の仮設庁舎に向けて出発しました。

 

女川町役場の仮設庁舎では総務課長さんを始めとする職員の方々から女川町の復興状況や今回、私たちが作業を行う旧庁舎と地域医療センターについてのお話を伺いました。女川町役場では新仮設庁舎の立ち上げや行政業務優先で人手が足りず、4階まで被災した旧庁舎の片付けはほとんど手を付けられずにいたそうです。また、高台にある地域医療センターも1階が被災したそうですが、医療センターの職員は事務長を含めて4名しかおらず、これまで十分な対応ができずに困っていたそうです。

<女川町役場の仮設庁舎での打合せ>

 

打ち合わせの後、作業を行う旧庁舎や地域医療センターの確認に行きました。そこには横倒しになったままの建物や機能を失った旧庁舎、建物が撤去された広大な更地の光景が目の前に広がっていました。現在、女川町では被災した建物を壊して更地にしている最中とのことで、復興はまだまだこれからです。

<横倒しのままの建物>

<地域医療センターから見える旧庁舎>

 

翌日17日は前日に視察した現場の状況から11人で相談し、当初の予定より1時間早い7時30分に旧庁舎前に集合し企画課職員の方々と作業を開始しました。

<作業の前、海に向かって黙祷を捧げました>

旧庁舎では4階に残った備品の片付けや、備品の整理・撤去、必要な備品を仮設庁舎へ移動する作業を行いました。

<資材の運搬作業>

 

地域医療センターでは、女川第一小学校に保管していた病床用ベッド44台と備品の搬入・移動作業、また2階に保管されていた約500個にものぼる箱に詰められた書類を保管庫へ運搬・整理するなどの作業を行いました。

<運び込んだ病床用ベッド>

<手術ができない手術室>

 

今回女川町の復興応援活動に参加した11名からは、

「人が元気そうで安心した」

「まだまだ復興には時間がかかる、もっと応援しないと・・」

「また手伝いに行きたい」

「復興に8年かかる・・・8年後に復興した町を見てみたい」

「現場は地道ながれきの片付けで少しずつ更地になっていく。急速な復興はなく、支援活動はこれからが大切だと痛感した」

「11人の復興への想いが作業を予想以上にはかどらせました。女川町の方々からも感謝され、大きな達成感が得られました」

などの感想がありました。

 

さらに、11名の共通した想いは「継続しないと意味がない」ということでした。これからも継続的に復興に向けた支援を行っていくための仕組みややり方を考えていかなければなりません。