大見 勝春
私は2011年3月11日に起きた東日本大震災の甚大な被害をメディアを通じて目の当たりにした時、「被災した人達、地域に対して何かできないか」という思いに強く駆られました。同じ思いを抱いた同僚と三重工場幹部に「何かできないか」と相談しに行ったことがきっかけとなり、三重工場を挙げての復興応援活動が始まりました。
私たちが「どこに行くのか」「誰が行くのか」「どうやって行くのか」など具体的な活動内容を話し合っている最中、三重県東北地方太平洋沖地震支援本部(三重県東日本大震災支援本部に4月6日名称変更)が三重県に設置されました。そこで私たちは支援本部の担当者の方に問い合わせたところ、宮城県牡鹿郡女川町をご紹介いただき、女川町へ支援物資を届けに行くことになりました。
当時は震災直後で何が必要とされているのか正確に判らない状況でした。テレビ報道などの情報を頼りに想定できる必要なものを洗い出し、工場の従業員に声をかけた結果、トラック1台が満タンになるほどの支援物資を集めることができました。

<トラック満タンに積み込まれた支援物資>
3月19日、支援物資を積み込んだトラックと乗用車が第一陣として、女川町へ向けて出発、女川町役場の土井さんと電話連絡を取りつつなんとか目的地に辿り着きました。
女川町に到着した第一陣は不足しているもの、必要なものを現地の方から直接伺い、その連絡を受けた第二陣がそれらの支援物資を集め、第一陣と交替で3月22日に出発しました。

<三重工場を出発する支援物資を積んだトラックと乗用車>
実際に現地に支援物資を届けた私たちは、「これだけでは足りない」ということを痛感させられました。そこで翌月、4月から毎月11日を「東北デー」とし、工場の朝礼時に黙祷を捧げるほか、従業員の負担にならない100円を募金するワンコイン募金活動などを行うことを決め、今日まで継続しています。ワンコイン募金で集まったお金は女川町の担当者の方に現地の状況を伺い、春は食料、夏は蚊取り線香などの生活物資、秋からは女川町災害対策本部への義援金にするなど現地のニーズに応えた支援を続けてきました。
震災から1年経った今年3月、女川町の担当者に復興状況を尋ねたところ「行政の建て直しを進めているが、被災した旧庁舎や病院の片付けに人手が足りない」とのことで、私たちは工場で有志を募り、3月16日から18日の3日間、現地でボランティア活動を行ってきました。