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宮城県気仙沼大島の復興ボランティア活動への参加レポート-④

2011 年 11 月 8 日

監査部 

山際 正治郎

10月16日(日)朝8時、東京駅八重洲鍛冶橋から、富士ゼロックス、JSR、朝日新聞、花王の方々と私を含めた総勢41名で宮城県気仙沼大島のボランティア活動に出発しました。他の参加者に比べ自分の年齢が高いのでギャップを感じましたが、これから始まる6日間の活動に気持ちが高まる一方で、初めてのボランティア活動への参加に若干不安もありました。

夕方4時頃に到着した気仙沼港はテレビなどで知った以上の悲惨な状況で、言葉で表現するのが難しい惨状でした。震災の現実を知るには実際に被災地に行き、自分の目でその現実を見ることが大切なことを改めて痛感しました。

<地盤沈下によって水の引かない気仙沼港>

 

気仙沼港から目的地の大島へはフェリーで向かいました。ボランティアの期間中、民宿「海鳳」にお世話になったのですが、食事の豪華さには驚きました。民宿のご主人、おかみさんのボランティアに対する感謝の気持ちとのことで感激しました。

<民宿「海鳳」>

 

翌日からは津波に流され回収した写真の洗浄、津波が襲った海岸沿いの田畑の草刈りとガレキの撤去、津波によって流失した家屋跡のガレキ拾いなどのボランティア活動を行いました。
写真の洗浄作業では写真の中の生活が失われてしまったことに思いがいき、これらの写真が持ち主に無事に戻ってほしいと願わずにはいられませんでした。
ガレキは主に漁具が多かったのですが100キロを超える機械なども混じっていて、改めて津波のエネルギーに驚嘆しました。また茶碗やはし、仏像などを見つけると、今回の津波が島民の生活を根底から変えてしまったことを思い知らされました。

<今も残る津波の爪跡>

 

作業前、若い参加者達の雰囲気が気仙沼へ旅行に行くように感じられ「これがボランティアか?」と思ったのですが、作業時のひたむきで懸命に作業する彼らの姿勢を見て、最初に抱いていた認識を改めると同時に現代の若者気質の一面をかいま見ました。

作業後、ボランティアの受け入れを担当している現地の青年団のリーダーが涙を流しながら被災体験を話してくれましたが、「父親が購入したばかりの船を津波から守るため海に出たが、燃えた船の残骸のみが発見され父親はいまだに行方不明です。家も水につかり、養殖設備全て失いました」という話には、参加者も涙無くして聞くことができませんでした。

「自分たちの活動が本当に島の復興に役立っているのか?自己満足ではないのか」と自問することがありました。しかし対策本部長の「この経験をできる限り多くの人に伝えてもらいたい。それが我々の力になる。そして復興の暁には、ぜひ遊びにきてもらいたい。」という言葉に、”それを実践すること”が復興ボランティア活動に参加した私達の役割ではないかと認識しました。

<島を出発する前の仲間との記念写真>

 

気仙沼大島は今回の震災によって死亡・行方不明者31人、流失家屋136、全壊・半壊120という被害を受けました。震災後に島を離れた人は50人程いるそうで、この方達の帰島が早く実現し島民の方々が元の平穏な生活に早く戻れるよう願わずにはいられません。

<「緑の真珠」と言われる大島北部、亀山からの夕焼け>