活動レポート » 2011 » 12月

2011 年 12 月 の一覧

宮城県気仙沼大島の復興ボランティア活動への参加レポート-⑧

2011 年 12 月 15 日

新城工場製造2課仕上

羽田 喜一郎

11月20日~25日横浜ゴム従業員12名と富士ゼロックス、JSR、武田製薬工業、新日鉄エンジニアリング、花王、朝日新聞社の総勢35名(女性10名)でグローバル・コンパクト・ジャパン・ネットワークが企画した宮城県気仙沼大島の復興ボランティアに参加してきました。

 

私は出発の前日、東京に宿泊したのですが天気はどしゃ降り状態、、、、天気が心配でしたが20日の出発の朝は昨日の雨がウソの様な晴天でホッとしました。

<集合場所でバスに乗り込むメンバー>

 

気仙沼港の悲惨な光景はテレビ等で知ってはいましたが、その光景を実際に自分の目で見ると、それは言葉に言い表せないものでした。そして「復興はまだまだ 終ってはいない、更なる復興支援が必要だ」という現実を再認識させられました。この惨状を時間の経過とともに薄れ始めている被災地から遠くで暮らす人たち に、現状を伝える事も今回参加したメンバーの使命だと感じさせられました。

“まだ復興は終っていないんだよ!”ということを。

<今も手付かずの場所が残る気仙沼港付近>

 

現地でメンバーは島の民宿、石田屋さんと海鳳さんにお世話になりました。

私は海鳳さんにお世話になったのですが、毎食の心のこもった豪華な食事に驚いてしまいました。おかみさんの「こんな事しか出来ないから」という言葉に、“明日も頑張るぞ!”という思いが心の底から湧いてきました。

<海鳳さんの心のこもった食事>

 

島には原発事故の風評被害で引き取り先の決まらないガレキがあちらこちらに山積みになっていて、美しかったであろう島の風景は変わり果てています。

<引き取り先が決まらない廃車>

 

ボランティア作業は島の青年団・有志で構成された「おばか隊」による全面サポートのもと、メンバーは牡蠣の養殖用いかだ作る部隊と土のうを作る部隊に分かれて作業を行いました。

“何かしなければ”

“早く作業しよう”

などの思いから大汗をかいて作業していると、それを見たおばか隊の方に

「細く長くですよ、はりきらないでムリせずに作業してください」

と注意されてしまいました。

周りを見るとみんな同じ思いで作業していたのか、顔を見合わせて大笑い。

<いかだの材料運び>

怪我も無く、どこかから笑い声が聞こえてくる作業となり、体はきついが心は充実感と達成感で晴々しました。ご指導、ありがとうございました!!

<完成したいかだとメンバーで記念撮影>

 

島を離れる朝、作業を指導してくれた島の方々、サポートしてくれたおばか隊の面々が見送りに来てくれました。ほんの数日間を共に活動しただけなのに、なぜ こんなにも切なく、寂しくなるのか・・・・・・「緑の真珠」と言われた美しい島、気仙沼大島が1日も早く復興し、賑わいが戻ることを願わずにはいられませ ん。

<みんなで記念撮影>

 

最後に、今回のボランティア活動をサポートしていただいた方々には大変お世話になりました。本当にありがとうございました。

 

※これからボランティアに行こうか、どうしようか迷っている人たちへ

ボランティア活動で何が出来るんだろう?

役にたつのだろうか?

行ってもムダではないか・・・・

 

そんな事は全く考えなくていいです。

まず行って見てきてほしい!そうすればきっと何をするべきか分かるはずです。

 

宮城県気仙沼大島の復興ボランティア活動への参加レポート-⑦

2011 年 12 月 9 日

ハマゴムエイコム株式会社 第二システム技術部

佐藤 茂

11月20日~11月25日にグローバル・コンパクト・ジャパン・ネットワークが企画したボランティア・ツアーに横浜ゴムの第6陣の一員として宮城県気仙沼大島に行ってきました。

 

今回の参加を通じて印象に残った風景や活動を写真で紹介したいと思います。

 

最初にご紹介したいのは気仙沼大島の景勝地である亀山の展望台からの眺め。

「緑の真珠」とまで呼ばれているそうですが、その震災を忘れるほどの美しさは今回の活動で1番印象に残るものでした。

島の紅葉はほぼ終わりを迎え、冬が近づいてきています。

 

ボランティア作業は流されてしまった養殖用いかだ作りをメインに行いました。

いかだ作りは島の青年団「おばか隊」をはじめとする島の方々と一緒に、亀山北側の傾斜がゆるい浜で作りました。

いかだで使う竹は援助物資として広島から送られたものだそうです。

まず初めに竹の長さを正確に測り、結束点の位置決めます。

結束点の位置を決めた後、ロープを締め上げる道具を使いながら特殊な結び方で組立てていきます。

養殖用いかだは一艘作るには竹28本、杉2本が必要で、組み立ては約100箇所をロープで結ぶという大掛かりな作業です。

島の方々と協力して3日間、朝から夕方まで作り続けました。

実際に自分達が作ったいかだを海に浮かべると感慨深いものがあります。

島の方の話では、牡蠣、ほたての養殖いかだ全てが津波にさらわれ、新たに海に浮かべたいかだの数は元の10%にも及ばないそうです。

下の写真の辺りにも、1,000枚ほどの養殖用いかだで海一面が覆われていたそうです。

元の景色に戻るまでには、まだまだ時間がかかると思います。

 

最終日、 浦の浜のフェリー乗り場にはおばか隊や宿泊した海鳳のおかみさん、いかだ作りを教えてくれた地元の方々がテープや旗を持って見送りに来てくれました。

出発したフェリーからは、島のフェリー乗り場で旗を振り続けている島の方々の姿がいつまでも見えていました。

見上げた青い空が涙でぼやけてにじんで見えました。

 

ボランティア・ツアーはあっという間の6日間で、知り合った大島の人達は、私の心の片隅に一生居続けると思います。

地盤沈下した島の港湾はフェリーの発着はできますが、それ以外の施設はいまだ手付かずのままです。

彼らは3・11から8ヵ月もの間、大島を復興するという目標に向かって様々なことと戦い続けてきました。

そしてこれからも世代を超えて戦いを続けていくのでしょう。

チャンスがあれば再度大島に行きたい。
私もあなた方と共に戦い、自分にできることをやって行きます。

 

宮城県気仙沼大島の復興ボランティア活動への参加レポート-⑥

2011 年 12 月 2 日

タイヤグローバル生産本部 新城工場 モノづくり推進室

内藤 佳典

11月13日~18日にグローバル・コンパクト・ジャパン・ネットワークが 企画したボランティア・ツアーの第5陣として、横浜ゴム従業員9名(中寺泰介、秋元研二、藤原正弘、薄井直諒、鈴木武人、宮下明子、広石亮二、平本剛、内 藤佳典)と、富士ゼロックス、JSR、朝日新聞社、武田薬品工業、新日鉄エンジニアリングの方々を合わせた42名で宮城県気仙沼大島のボランティア活動に参加してきました。

 

気仙沼大島に到着した翌日から支援物資のチューリップの球根5,000個、土、プランター1,000個 を島の老人クラブの皆さんと一緒に島民の方々に配布する作業を行いました。作業中は逢う人、逢う人に「どこから来たの?遠い所からご苦労様です」と声をかけられ、島民の方々の温かさを感じました。ちょっとした会話の中で見せてくれる笑顔に、ボランティアは作業だけでなくこうした人とのコミュニケーションも大切なのだと思いました。

<支援物資の球根、土、プランターの配布>

 

15日からは牡蠣の養殖用のいかだ及び土嚢作り、漁具の整理、崩壊した民家のガレキ分別などを行いました。養殖いかだ用の土嚢作りは約50㎏の砂利を袋に入れてひもで縛るというもの。本格的な肉体労働の始まりということではやる気持ちを抑えて臨んだのですが、「大島の方達の役に立ちたい」という想いが大き かったため、山積みの砂利を驚異的なスピードで袋詰めし、あっという間に720個の土嚢を完成させました。作り終えた時の達成感も凄かったですが、翌日の筋肉痛も凄かったです。

<完成した土嚢の前で一休みする参加者>

牡蠣の養殖いかだ作り島の漁師さん達の指導ので行われました。いかだは竹28本と杉の木2本をもやい結びという特殊な縛り方で組付けし、4m×7mの大きさに仕上げます。慣れない作業なので思うように組立てることができず、指導してくれた漁師さん達に申し訳ない気持ちになりました。しかし完成したいかだが海に浮かぶのを見た時はやり遂げた心地よさに浸ることができました。

<漁師さんの指導のによる養殖いかだの組立て>

<海に浮かべた養殖いかだ>

いかだを組立てた後、津波でばらばらになったロープや網などの漁具についた汚れを落として仕分けをする作業を行いました。寒波の到来で寒風が吹きさらす海辺での作業でしたが、寒さに耐えながら一つ一つ丁寧に仕上げていきました。

<寒風が吹く中での漁具の整理>

作業終了後にはサプライズで一緒に作業をしていた島の青年団「おばか隊」の準メンバー晴菜さん(4月から単身で福岡から気仙沼大島に来て活動してい る)が女性R&BシンガーAIのStoryを歌ってくれました。彼女の素晴らしい歌声と歌詞が現実と重なり、参加者の目に涙があふれました。

 

気仙沼大島に滞在中、自身も震災の被害に遭い家族や家、仕事を失った災害対策本部長の白幡さん、おばか隊隊長の村上さん、民宿の女将さんらが思い出すだけで辛くなる震災当時の話をしてくださいました。特に印象的だったのは白幡さんの「復旧は進んでいると言われてますが、現場はこれからです!まだまだ復興には程遠い状況です。とにかく来て、見て欲しい。一人でも多くの方に伝えて欲しい」という言葉でした。

<災害対策本部長の白幡さん>

さらに白幡さんは気仙沼大島の今後の復興プランとして「島のシンボルでもある亀山に震災にも負けない木を植えてハイキングコースを作りたい」とおっしゃっていました。それを聞いて私は、当社で行っている植樹活動“YOKOHAMA千年の杜プロジェクト”をここ気仙沼大島でも実施できたら素晴らしいのにと思いました。

 

私は被災地に行き、復興作業を手伝い、そして被災された方々の生の声を聞き、大切なことは継続的に支援し続けること、そして多くの人達に新聞やTVで報道されていない事実をきちんと伝えることだと認識しました。

 

最後に毎日美味しいご飯を作ってくれた民宿石田屋さんや海鳳さん、お世話になったおばか隊の皆さん、島民の方々、本当にありがとうございました。

一日も早い復興と島民の方々の平穏な生活が戻ることを心から願っています。

<おばか隊や島民の方々の見送り>